2010年10月07日

空手と剣術の相違

松村宗棍が示現流(小示現流)を収めたことから、示現流とマキワラの関係など、空手と剣術の共通点を挙げて説明されることがあります。

しかし、示現流とマキワラの関係については、最近言われ始めたことです。

鍛錬のために用具を打つのは、中国武術に多く見られる方法ですので、示現流が原点かどうかは疑わしいと思っています。

また、空手には文献がなく、剣術には多くの文献が残されているために、空手における武道用語のほとんどは、剣術の借用となっています。

共通点もあるかもしれないが、似て非なる部分もあります。


今年になって、稽古の最中に剣術で使われる撞木立ちと、空手の前屈立ちの相違を説明しました。

実験をしてみると、明らかに相違がありました。

大きな違いは、威力を刀にゆだね剣術と、威力を自分自身の五体で作り出さなければならない空手の違いということだ思われます。


富山にいる弟子もいろいろ実験した結果、同じような結論になっていました。

彼は、清水万象先生の(民弥流・駒川改心流・四心多久間流・椿小天狗流・小栗流、松濤館空手)
)系統の剣術を、清水先生の高弟に習っていました。

残念ながら、最近事故で亡くなられましたが・・・・・・・・・・・

因みに、清水先生は、船越先生の初期の弟子の一人で、松濤館で最初に支部を作った人です。

また、清水伝の空手は、久保田伝の内容と非常に近いらしいです。



彼の文書を引用します。

太極棒の研究を良くやっていますが、他に
空手で剣術や居合をやってみることを実験しています。
おおざっぱに言うと、剣という重さで斬れるものを使う以上、
基礎部分に共通性があったとしても、無手の技術とは
どこかで似て非なるものになるのですが、
第一に立ち方にその違いが現れます。

いわゆる撞木に代表される剣術の立ち方は、
ある部分では空手の立ち方と共通する要素もありますが、
明確な大きい違いもあります。

斬り易いか打ち易いかの違いで、それぞれの技術を最大限に
発揮するよう設計された立ち方でしょう。

ではナイハンチ立ちをはじめとした空手の立ち方では、
剣は使えないのか。

ということでいろいろと試してみるのですが、
今のところ、おそらく成立が古く「打ち」「叩き斬り」の要素が強い
技術については、空手の立ち方の方が威力を発揮しやすいものもあります。
ただ、隙が少々大きくなってしまうため、木刀までの勝負なら、
あるいは空手の立ち方の方が有利な場合もあるかもしれませんが、
真刀でとなると当然ながらやはり、餅は餅屋という結論になりそうです。

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posted by 桧垣源之助 at 19:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

ダブルスピン

久々に月刊空手道を買った。

先週の稽古のとき弟子から、「月刊空手道の杉田先生の特集はうちのダブルツイストを使った突きと似ている」「日子流のある技法と、うちの○○が似ている」という話を聞きたからだ。




杉田先生には以前雑誌の特集の撮影で、道場をお借りしたことがある。

自宅の庭に道場を建ててしまったそうで、なんとも羨ましいかぎりだ。

そのときの特集を掲載した号は、雑誌販売数の最多記録をマークした。


杉田先生の特集は、「ダブルスピン」である。

私が「ダブルツイスト」と言っている方法とほぼ同じもののようだ。

ダブルスピンを「SSC:ストレッチ・ショートニング・サイクル」として説明をしているのはいいけれど、どこの筋肉をそうさせるのか説明がない。

全体的には似ているが、よく読むと細部に違いがあるようだ。

1:ダブルスピンをかけるタイミング
2:初速の方法
3:骨盤の使い方(説明がないので写真から判断)
4:体重のかけ方(説明がないので写真から判断)

といったところか。

それでも、空手の先生がこういう記事を書くようになったのは、良いことだと思う。

今度、杉田先生と会ったら色々と聞いてみたい。

私がダブルツイストを本に書いたことで、うちは全ての技法にダブルツイストを使っているように勘違いされる方が多いようだ。

うちでは、下半身は大きく3つの動きに集約されている。

もちろん、腰を振らない方法も存在する。

posted by 桧垣源之助 at 12:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

葛藤

ものすごい葛藤の末、買ってしまった。

水道橋の東海堂へ空手衣の修理を頼みに行った帰り、神保町の高山書店に寄った。

隠されていた空手が4500円だったw

買う予定は無かった。

ふと手に取った本が「新陰流道業60周年回顧録」という転会の本である。

転会の稽古は、一度見学したことがある。

先生の打ちが強くて、嚢竹刀がへし折れていた。

なんの気なしにページをめくってみると、私の新陰流の師である鶴山先生及び先師である大坪指方先生、先々師である下條小三郎先生(合気道開祖の植芝盛平に新陰流を教えた人)について書いてあったので、つい読んでしまった。

価格は3300円。

買いたいが、お金を持ち合わせていない。

これを買ってしまったら、帰りに予定していた買い物ができない。

30分くらい悩んで・・・・・・・・・・・・・買ってしまった。

買い物は、半分になってしまった・・・・・・・・・

帰ってきて、一気に読んだ。

この本は柳生厳周先生、厳長先生を軸に、戦前、戦後において新陰流の中心的だった人物を書いた1部と、武道論の2部からなる。

1部は、裏話的な話が主と転会の発展史である。
2部は、著者の武道論である。

技術書ではない。

2部の現代剣道と古流剣術の比較における廻剣論は見事である。

『基本動作は大変重要であるが、技法上「技」とはいえない』という部分は、私が以前書いた内容を同じであった。

さらに、教習過程の整備と伝位の制定は、唸ってしまった。

やはり400年の歴史を感じざるを得ない。

これこそが、真の武道技術上達論だと思う。

最後に、鶴山先生の未発表の研究成果の一部が掲載されていた。

この出所には私の兄弟子が関わっていると思われ、思わす苦笑いをしてしまった。

久しぶりに会ってみようか・・・・・・・・・
posted by 桧垣源之助 at 00:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月07日

深遠微妙

紹山会を立ち上げてから、1年が過ぎた。

いくつかの技術において、1年前にはできなかったことが、できるようになっている。

「できないことを、できるようにするのが稽古」と、いい続けてきたので、

少しずつではあるが、実現できているのはうれしい。

これは弟子だけではなく、自分自身にも当てはまることだ。

しかし、本当は「できるようになってからが、本当の稽古のはじまり」なのである。

「行じ方が足りない」・・・・・・・・・・・・・・・と、どこからか声が聞こえてきそうだ・・・


皆のレベルが上がるにつれて、指導方法も変化してきている。

ケースによっては、今までの説明を否定と取れるようなことも発生してきた。

本当は、否定ではなく、変化なのだが・・・・・・・・

例えて言えば、足し算しかできなかった生徒に、掛け算を教えるようなものか。

一昨日の稽古においても、それが顕著になってきた。

今までの説明が陳腐化した瞬間を、皆で体験した。

深遠微妙とは、こういうことを言うのではないだろうか・・・・・・・・
posted by 桧垣源之助 at 20:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

これも上達論

以前、読んだ本の中の一説です。

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世の中には、いいかげんな怠け者というタイプの人も多いのです。

楽をしようとして、奥義の方に適当に中途半端に手をつけようとして、ちょっと何かをつかんだり、何かを解ったような気になる人がよくいます。

こうした人は、結局は自分の未熟な技を一発逆転的な発想で、奥義というものを自分勝手に解釈して、自分を誤魔化そうとする人ばかりです。

あるいは、コンプレックスの強い人に、この必要なプロセスを勝手に省略しようという人が多くいます。

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まさに上達論ですね。
posted by 桧垣源之助 at 23:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月04日

自分で作る極意書

空手の稽古は、ただやっているだけではもったいないです。

私は、皆さんに「必ず毎回、稽古後にノートをとるように」と言ってあります。

何を何回やったというようなことではなく、自分の気づきをまとめることが重要です。

また、レベルが上がると、同じことをやっても、気づくことが違うこともあるでしょう。

他人に見せるわけではないのですが、後で自分が見てわかるように書かなければなりません。

技の気づきを書くことによって、動作言語化あるいは記号化しなければならず、その変換作業が理解を深めることになると考えています。


今まで見せてもらったノートで凄いと思ったのは、元空手世界チャンプの鈴木雄一のノートです。

もう一つは、大東流の竹下ノートでした。

特に雄一のノートは、中学生の時に見せてもらい、その内容の細かさにビックリしましたことを今でも覚えています。

それが頭に残っていたので、数年前にJKFANに企画提案して特集になりました。

何年も書き溜めて、項目ごとに整理すれば、自分で作る極意書となるでしょう。
posted by 桧垣源之助 at 19:25| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月30日

質問する人しない人

以前、雑誌の取材で、「何で桧垣さんだけが、久保田先生から習うことができたのですか?」と質問を受けたことがあります。

「久保田先生は大学でも教えていて、他にも習った人は居るはずなのに、なぜ桧垣だけが習えたのか」という皮肉も込められていたと思います。

私の答えは、「私だけが、しつこく先生に質問をしまくったからからでしょう」というものでした。


最初の空手の師に質問をして、「おまえが、質問をするには10年早い!」と怒られましたので、10年間は質問をしませんでした。

久保田先生に会った時には、空手をはじめて10年がすぎていましたので質問はOKだろうと、久保田先生には質問をしまくりました。

(だたし、反対に宿題という反撃にもあっていますが・・・・・・・・・・)

自分の中に仮想の全体像を描き、ジグソーパズルのように足りないパーツを順番に質問していきました。

先生が勝手にする説明や実演では、自分のジグソーパズルのパーツを完全に埋めることはできません。

なぜなら、パーツの形が違うので、私のジグソーパズルの絵には当てはまらないのです。

自分が納得するためには、自分の質問に答えてもらう必要がありました。

また、先生というものは、自分の得意なことを話したりやりたがるものなのです。


最近、教える側と教えられr側のギャップについて、いろいろと考えていたので、昨日の稽古の途中で、「質問はありますか?」と聞いてみました。

すると「○○○○について、上手くいきません」という反応がありました。

答えは簡単だったので、直ぐにその対策をやってみせました。

それで、その○○○○は、上手くできるようになりました。


やはり、聞いてみないとお互いにわからないものですね。
posted by 桧垣源之助 at 00:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

アウフヘーベン

今月に入ってから、指導の仕方を変えています。

稽古とは、できないから稽古をするのですが、できない技を何回やってもダメというのも事実です。

この矛盾した状態を、アウフヘーベン(止揚)するように導くのが、指導だと思っています。

ちょっと難しくなりましたが、

できていない技を一つ選んで、それを徹底的に指導するというふうに変えてみました。

前回書いた「崩し、作り、掛け」のパートについて、それぞれ「位置、形、動き」の視点から分析を加えて、できていない部分を明確にして、指導してみました。

これをやると、あっという間に時間が過ぎていきます・・・・・・・・・・・

でも、皆さんには好評でした。

あとは数稽古ですが・・・・・・・・・・・・・

そんな稽古のあとなので、稽古後の食事会では、イメージ力の話になりました。

頭の中に技を3Dで描けるようにならないと、難しいかも・・・・・・・・・

posted by 桧垣源之助 at 14:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

感覚を言語化してはいけない

「技」は、視覚化できたり、言語化できたりしやすいのですが、「術」(コツ)はそれがし難いという性質があります。

それ故、「術」を教えるときに気をつけなければいけないのが、「感覚の押し付け」です。

コツとは、多くの場合に感覚的なものとして認識されます。
よくスポーツ選手や達人によって、その感覚が擬音化や言語化されることかあります。
しかし、そのコツができたときの感覚を表現できたとしても非常に難しく、本人にしか判らない言葉になってしまいます。

例えをあげると、「○○の力」などという表現は、本人にはそれがピッタリとするのでしょうが、習う側からすると、意味不明の説明となってしまうことがあります。
ただ、便宜的に名称をつけなければならないことはあるでしょう。

別の例えで言えば、ある料理の味加減を教えるとします。
料理を作って、弟子のAさんとBさんに食べさせます。
Aさんにとっては、「辛い」と感じても、Bさんにとっては「甘い」と感じることがあります。

料理の味は同じでも、人それぞれに感じ方が違うのです。
これはどちらが正しいという問題ではなく、どちらも食べた人にとって真実なのです。
これを「この料理は辛い」と言ってしまうと、「甘い」と感じる人には通じません。
この料理の味を表現するには、「この味」とだけしか言うべきではないでしょう。

術を教えるときは、この料理の例と同じです。
弟子が「できたか、できないか」だけを言ってあげることで、弟子はその感覚を認識しやすくなります。
私自身は、「術」のようなものを教えるときには、この点に気をつけています。

結局、伝書などに書かれるとか「口伝」と書かれている部分は、「こういう感覚は、実技でしか教えられない」ということなので、書きようがないからだと思われます。

私の師である久保田先生の書いた文書の中にも「実技にて指導」とか「口伝」と書かれている箇所が多く見られますが、実技で習っているものは、それだけの言葉で再現できるものなのです。

実際に習っていない他流の伝書を見ただけで解ったように思うのは、思い違いがあることがあるので、気をつけなければなりませんね。
posted by 桧垣源之助 at 20:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

型と身体操作の関係

よく型の効用を議論するときに「型は身体操作を覚えるために必要である」とする意見が、しばしば見受けられます。

本当にそうでしょうか?

身体操作(術)は技を行うためのコツであり、それは技を練習することで習得できます。

ここでいう技とは、対人練習のことです。

柔道を例に説明してみましょう。

背負い投げという技を習得するには、打ち込みや乱取りが必要なのは、言うまでもありません。
それを練習する過程で、踏み込む足の位置や、相手を崩す方向などのコツ(術)を習得していきます。

仮に柔道の初心者が、空手の型のように一人で背負い投げのフォームを行う単独練習だけをして、背負い投げのコツをつかみ、いざというときに相手を投げることができるでしょうか?

この質問を柔道経験者にしてみれば、「不可能!」という返事が返ってきます。

これを空手の型と身体操作の関係に置き換えてみれば、自ずと答えが出てきます。
単独の型だけをいくらやっても、実用になる身体操作(コツ)は身につくことはないでしょう。

型の意味を理解し、分解を練習する過程で、上手く出来るときと出来ないときを観察しつづけることで、コツを見つけることができるのです。

従って、分解を練習して上手く出来たときの経験あって初めて、型を練習すると技のコツである術(身体操作)を身につけられるのです。

単独型だけで身に付けられるものは、演武を上手にやるコツでしかありません。
posted by 桧垣源之助 at 17:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

4年前に書いた特集が・・・・・

昨日、本を一冊買ってきました。

身体操作に関する本です。

読み始めて笑ってしまいました。

なんと、私が4年前に書いた特集そのものではないか!!

使っている単語が横文字なのが違うだけ。

さも大発見のように書いてあるが、古伝技法と同じものです。

本の名称は「骨盤力」です。



主に野球をメインとして書いてありますが、、内容は「ダブルツイスト」と「弧の運足」です。

私が書いた桧垣式高速上段突きと内容は同じでした。

http://higaki.info/ebook/Item03.html
posted by 桧垣源之助 at 14:43| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

その場基本は技ではない

空手における「その場基本」と呼ばれる定位置での突き蹴り受けの動作は、技ではありません。
このような言い方をすると「何をバカな」と思われる方もいるかもしれません。

しかし、よく考えて見ましょう。

例えば柔道の基本の練習とは、背負い投げや体落しという「技」を対人稽古で練習することです。これを何度も繰り返す練習を「打ち込み」といいます。
この対人練習において技の「崩し、作り、掛け」を習得することを目的としています。
柔道では、相手に技を掛ける練習のことを基本としています。

空手の「その場基本」は単独動作なので、間合い、威力、タイミングなどは練習できません。
従って、相手に技をかける練習ではありません。

その場基本とは、技の構成要素の一部であるパーツを作るための練習です。
久保田先生は、「所作」という言葉で説明していました。

他の武道と空手では「基本が大事」という意味において、差があること認識しなければならないと思います。

柔道において乱取りで技が掛からなくなったら、基本練習である「打ち込み」をして技を調整しますが、空手では、組手が不調だからといって、その場基本をやっても組手に直接つながることはありません。

その場基本は、本土において初心者用に作られた練習方法です。


初期の唐手の本では、型を基本とし組手(受け外し)を応用とした記述があります。

型は前著で説明したように、基本をつなげたものではなく、複数の動作が一つの技となっているので、分解が柔道でいうところの技となります。
従って、空手における技の練習ということは、分解を二人で練習することです。

マキワラ練習は、突き蹴りに「間合い」「威力」「運足」などを加味できるので、技の練習に近い方法と考えてもいいのではないでしょうか。

また、競技組手を前提としていうならば、二人でのコンビネーション練習である約束組手が「技」ということになります。
posted by 桧垣源之助 at 19:01| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

型と身体操作の関係

よく型の効用を議論するときに「型は身体操作を覚えるために必要である」とする意見が、しばしば見受けられます。

本当にそうでしょうか?

結論から言うと、単独型をやっただけで空手の身体操作を身につけることは無理でしょう。

型の意味を理解し、分解を練習しない限り、技のコツである術(身体操作)は身につきません。

単独型だけをやって身に付けられるものは、演武を上手にやるコツでしかありません。


その例として、「逆腰」を挙げておきます。

「逆腰」とは、突きを出すときに前に出る腕とは反対の後ろの方へ腰を切る動作をいいます。

逆腰を使う組手選手はいませんが、型の選手に逆腰を使う人がいるようです。

突きを出すときに、威力を出すためにダブルツイスト(腰使い)を用います。

このダブルツイストは、突きを出す前の予備動作である引き手のときに、突く手と同じ側の腰が後ろへ戻り、すかさずその腰が前に出るの反動を利用して、突き手を前に出すエネルギーに使うための動作です。

この突きの動作に引き手が加わると、トリプルツイストになります。

上手な人がこのトリプルツイストを速く行うと、最初のダブルツイストは動作が小さくて見えづらく、最後の引き戻す動作が大きく見えますので、技の構造を理解していないと突いたときに腰を引いているように見えます。

これを見て、上手い人は突きの時に腰を引く「逆腰」を使っていると勘違いをしたのだと思われます。

また、逆腰を行うと空手衣が「バシッ」と大きな音をだすので、突きの威力が大きくなったような錯覚に陥ります。

実際にマキワラやサンドバックを突いたり、フルコンタクト形式の組手をやってみれば、この逆腰が威力に繋がらないことが理解できます。

突きの威力を増すためのダブルツイストと、単独型の演武を上手く見せるための逆腰の違いを理解すれば、目的を持った技とそれを生かす術の関係が見えてくるのではないでしょうか。
posted by 桧垣源之助 at 21:24| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

基本は技か

多くの指導者は、「基本が大切だ」という。
これに異論を挟む人は少ないだろう。

しかし、空手の場合は少し意味が違っているのではないだろうか。
「空手の基本」と「他の武道の基本」とでは、その指しているものが違うのである。

柔道を例に挙げて、空手と比較してみよう。
「基本」と言う単語を、どのような意味で使っているのだろうか。

柔道の基本=打ち込み
空手の基本=その場の突き蹴り

このように使っている場合がほとんどだろう。

これを比べてみると、大きな違いに気がつくと思う。

すなわち、柔道はそのまま「技を基本」と言っているのに対して、空手は「基本が技」ではないのである。

どういうことかというと、柔道は二人で行う技(背負い投げなど)を基本としているに対して、空手は単独動作(突き蹴り)を基本と読んでいるのである。

柔道の技はそのまま乱取りに使えるが、空手の突き蹴りは、運足や間合いや当てる角度などを追加しないと相手に有効な「技」にならないのである。

従って、他の武道の観点からみると、空手のその場での突き蹴りは「所作」であって技ではないということになる。

では、空手の場合どのようなものを「技」とみなすだろうか。

間合いと当てる感覚や威力を加味した、マキワラ突きは基本と言えるだろう。

もう一つの見方は、分解が技といえるのだと思う。



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posted by 桧垣源之助 at 14:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

型の改変

最近は型を改変するのが、当たり前のようになっているようだ。

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posted by 桧垣源之助 at 08:37| 東京 ☀| Comment(12) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月14日

空手の身体操作と野球理論

最近の野球理論と空手の身体操作に共通点があります。

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posted by 桧垣源之助 at 18:20| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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