2009年11月30日

質問する人しない人

以前、雑誌の取材で、「何で桧垣さんだけが、久保田先生から習うことができたのですか?」と質問を受けたことがあります。

「久保田先生は大学でも教えていて、他にも習った人は居るはずなのに、なぜ桧垣だけが習えたのか」という皮肉も込められていたと思います。

私の答えは、「私だけが、しつこく先生に質問をしまくったからからでしょう」というものでした。


最初の空手の師に質問をして、「おまえが、質問をするには10年早い!」と怒られましたので、10年間は質問をしませんでした。

久保田先生に会った時には、空手をはじめて10年がすぎていましたので質問はOKだろうと、久保田先生には質問をしまくりました。

(だたし、反対に宿題という反撃にもあっていますが・・・・・・・・・・)

自分の中に仮想の全体像を描き、ジグソーパズルのように足りないパーツを順番に質問していきました。

先生が勝手にする説明や実演では、自分のジグソーパズルのパーツを完全に埋めることはできません。

なぜなら、パーツの形が違うので、私のジグソーパズルの絵には当てはまらないのです。

自分が納得するためには、自分の質問に答えてもらう必要がありました。

また、先生というものは、自分の得意なことを話したりやりたがるものなのです。


最近、教える側と教えられr側のギャップについて、いろいろと考えていたので、昨日の稽古の途中で、「質問はありますか?」と聞いてみました。

すると「○○○○について、上手くいきません」という反応がありました。

答えは簡単だったので、直ぐにその対策をやってみせました。

それで、その○○○○は、上手くできるようになりました。


やはり、聞いてみないとお互いにわからないものですね。
posted by 桧垣源之助 at 00:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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