2005年12月11日

型の改変

最近は型を改変するのが、当たり前のようになっているようだ。

以前は、糸東流関係でよく聞かれた。
昨日、松濤館系へ行っている仲間と話していたら、「抜塞はこうやってました」というので、その場にいた他の松濤館系の人に聞いてみたら、「そうではない」という。
その部分は、船越先生の写真も残っているのだが・・・

まぁ、改変する理由があれば、それでもいいのかもしれないが、本当に今までの挙動がなぜダメなのか、また、どういう理由で変えるのか、明確に文書化しておくべきだと思う。

それに今まで販売していた型のビデオや教本は、どうするのだろうか。

そういえば、空手を始めた35年ほど前にも、ある流派の演武会で、パッサイを大正の型、戦前の型、戦後の型と挙動を変えて演武したものを見たことがある。
そのときも、「なんでだろう」と不思議に思いました。

以前、他流派の道場へ出稽古にいった際に、その流派のピンアンをやってみたら上手くできなかった。
自分が今までやってきたものと、体の中でバッティングしてしまう。
モデルチェンジは、そう簡単にできるものではないと実感したので、私自身は他流派の人を教える場合には、支障の無い限り、自分の流派の型でOKとしている。
posted by 桧垣源之助 at 08:37| 東京 ☀| Comment(12) | TrackBack(0) | 上達論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 更新、楽しみにしておりました。本日、松濤館流の第2指定形の講習会に行って参りましたが、先生と同じ感想でした。「ここはこういう風に変えました。(統一しました、見たいな感じ)と言うだけで、「なぜ」があまりなく、言葉の節々に「ホントは違うんだけどね」みたいな言葉がありました。一体、今後どうなっていくんでしょうか。
Posted by ぴんあんちゃん at 2005年12月18日 18:07
コメントありがとうございます。
本当に不思議ですね。
その講習会では、分解はやらなかったのでしょうか。
Posted by 桧垣源之助 at 2005年12月20日 23:31
 分解はやりましたが、まえにBBSでご相談した通り、市販されている「指定形教本」の内容と同じでした。カンクウダイでの「伏せ」の分解も「後ろから来た棒をかわす」とのこと。

 本当に未熟者の私ですが、「空手は一つ」の意味を追い続けて行きたいと思います。

 また良きご指導をお願いします。

 
Posted by ぴんあんちゃん at 2005年12月23日 18:14
初めて連絡させて頂きます。もう40年以上も空手(協会)をやっている者です。本当の分解を説明している先生の本を読ませて頂き大変勉強になりました。形については色々質問があるのですが中々聞く機会ってありません。若いときには質問などは許されなかったし歳になると聞くのが恥ずかしくなる。
今日はその恥をしのんでお聞きします。珍手の最後両足をそろえて3回ピョンピョンと飛びますがどのような意味があるのでしょうか。小生にはスタートの位置に戻るための所作としか思えませんが。ご指導のほど宜しくお願い致します。
Posted by 横田耕作 at 2009年02月28日 04:19
横山様

コメントありがとうございます。

>若いときには質問などは許されなかったし

そうでしたね。私も「お前が質問するには10年早い!」と怒られた記憶があります。

ご質問の珍手ですが、私の師は松濤館十五の型しかやりませんでしたので、珍手についてはお答えできません。

しかし、知り合いにの先生などに聞くと、「続きを忘れたため、元に戻れなくなったので、しかたなく三回飛んで戻るようにした」というような話でした。

また、沖縄では必ずしも型の演武で元に戻ることはないようです。
ただし、元に戻った方が練習がしやすいために、後年動作を継ぎ足して元に戻るようにしたものもあるようです。

どちらにしろ、分解をどう解釈するのかの方が大事だと考えています。
Posted by 桧垣源之助 at 2009年03月02日 09:47
早速のお返事ありがとうございます。小生もあの動き(後ろに飛ぶ)は大変不自然な動きと感じておりました。残心かなと推測した時もありましたが何故3回も飛ぶのか納得できませんでした。
最近の試合の形では元の位置に戻ることを義務付けられているようですが先生のご見解と同意いたします。かたちの為に(元に戻るなど)形の動きを変えたりするのは本末転倒なことで残念な傾向です。
もう一つ、誰も疑問に思わないようですが何故形には気合を二回しないといけない規則があるのでしょうか。これも試合形の為でしょうか。小生が調べた範囲では古い沖縄の形では気合をしないものが多くあるようです。この気合二回の経緯はどのようなものなのでしょうか。色々つまらない質問をしまして申し訳ありません。お返事を頂ければ幸甚です。横田
Posted by 横田 耕作 at 2009年03月02日 13:26
気合についての疑問も、もっともですね。

元々型の演武において気合は無かったようです。
沖縄で夜陰に隠れるようにして稽古していたわけですから、大きな声で気合をかけることは無かったと思われます。
船越先生の初期の本にも、型の動作の説明に気合はありません。

しかし、型の試合をやるようになるにしたがい、演武の際に気を引き締めるために、気合を入れるようになったと聞いたことがあります。

もう一つの要素として、本土の武道において型演武のときには、気合を入れますので、それを真似たとも思われます。
Posted by 桧垣源之助 at 2009年03月02日 20:24
型の改変は、本土の流派は全て頻繁に行われていますね。糸東流も剛柔流も和道流までも。まさに分解が曖昧だから起こる現象なのでしょうが、歴史的に見ても型を変えるのは常のようなので、そういうものだと捉えるのが妥当なのでしょうね。型の改変とか周りは気にせず、習得すべき分解というか技術を明確にして、それに準じた型を作って稽古したほうが懸命ですね。
Posted by げん at 2009年03月02日 23:44
げんさん、こんにちは。

仰るとおりですね。
分解が明快になっていれば、型の動作の変更があっても、誤差の範囲内で収まるのではないでしょうか。
Posted by 桧垣源之助 at 2009年03月03日 12:41
横田です。
もう一つ疑問に思っていることがあります。
鉄騎は右に向かって始めますが平安は全て左に向かって始めます。小生の道場では平安逆を作り右スタートも稽古しています。他の形は通常前に進むのが普通ですがこの形を創作された糸洲先生はどのような考えで左横に向かって進む形を作られたのか不思議です。お考えをお聞かせ頂ければ幸甚です。
Posted by 横田 耕作 at 2009年03月22日 10:52
>横田さんへ

沖縄の久場先生が言うには、「左右非対称の型は、逆を自分で練習するようにしなければならない」ということでした。

糸洲先生がどのような考えで、平安を左スタートにしたか私にはわかりませんが、平安以外の型は、前スタートがが多いですね。
琉球古武道の型は、左スタートが多いようです。

首里手系の型を見ると、開門式がばらばらですので、複数の中国人に別々の門派の武術を習ったと推測できます。
要するに、チャンプルー(ミックス)なんです。

ですから、右スタートと左スタートと前スタートが混在しています。

因みに、泊手のナイハンチは左スタートだそうです。
Posted by 桧垣源之助 at 2009年03月23日 16:04
質問に対するご回答頂きありがとうございました。出張に出ていたもので(営業マンです)お礼のメールが大変遅くなり失礼しました。当方の推測がまちがっているかも知れませんが多分陰陽の関係ではないかと思うのですかいかがでしょうか。つまり数字にも陰陽があり(奇数が陽で偶数が陰)左右にもそれがあることから陽である左が優遇されたのではないかと推測致します。運動場のトラックも時計と反対周りでこれも一度時計周りで競技をしたら走者からクレームが出たとのことです。当然分解の正しい解釈が一番重要なことと理解しておりますが形には不思議なことが一杯あります。今後とも宜しくお願い致します。
Posted by 横田 耕作 at 2009年04月04日 09:33
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