昨日、「唐手から空手へ」という金城裕先生の本を買って読んだ。
http://p.tl/-a2H- 本当は空手の本なんて読んでいる場合ではないのだが・・・・他の事を差し置いて読んでしまった。
まだ、ざっと目を通しただけだが、いろいろと気になることが書いてある。
金城先生の本の趣旨は「唐手(からて)とは何か」「型の意味とは何か」がメインテーマとなっている。
私の興味の対象でもある「空手とは何か」「型の分解」と重なるところがあるので、気になる本なのである。
空手の本はいろいろあるけれど、このようなテーマで書かれているものは非常に少ない。
ただ、先生の論は独特である。
先生の前著「唐手大鑑」を読んだときには、意味を理解するのに苦労した。
http://p.tl/A7bc- 先生の趣旨は「唐手(からて)は、武術、武道にあらず、首里手、那覇手、泊手でもなく、唐手(トウディー)でもない」というものだった。
また、唐手(からて)の型は14しかなく、ピンアン初段〜五段、ナイファンチ初段〜三段、パッサイ大、パッサイ小、公相君大、公相君小、チントウ、五十四歩だけが唐手で、他の型は唐手ではないという。
http://p.tl/iJML- はぁ?
ジオンやセイシャンなど他の型は何なの・・・・・・
また、「唐手(トウディー)の公相君と唐手(からて)の公相君は別物、他の型も同様」というものだった。
混乱の極みである・・・・・・
何度も読んで、やっと趣旨を理解できた。
いわく、「糸洲安恒が、学校体育に組み込むために改変した14の型だけが唐手(からて)で、他のものは唐手(からて)ではなく、唐手(トウディー)である」というものだ。
ちょっと待てよ・・
糸洲の高弟であり金城先生の師でもある花城長茂は、ジオンを得意として教えていた・・・
14の型の枠組みは師伝ではないのか・・・・
では、14の型の枠組みは、誰から聞いたのか・・・
金城先生の知り合いである徳田安貞(旧制中学22期生、明治38年1905年入学、明治43年卒業1910年)から聞いたとのこと。注:旧制中学は6年で卒業
徳田安貞は明治38年入学なので、糸洲が中学で空手を教え始めた年に入学している。
徳田いわく「学校で教える空手の型はナイファンチ初段にはじまって、平安、パッサイ、公相君、チントウ、五十四歩までであった」というのが、その根拠らしい・・・
さらに金城先生いわく「大正12年以降の空手の本はほとんど読んだが、糸洲十訓を無視し、型の意味にも研究されていない」という・・・・
あれ・・・・金城先生は拙著「隠されていた空手U」を読んでいないのか・・・・
http://p.tl/sdRX- 参考文献には拙著がない・・・・・・・
同じ出版社から出され、拙著より新しい本も参考文献になっているのに・・・・
拙著を読まれたならば、金城先生はなんていうのだろうか・・・・
なぜなら、この「唐手から空手へ」という本には、糸洲によって改変される前の公相君の分解と、改変されたあとの分解がいくつか写真で掲載されている。
おもしろいのは、拙著で公開した観空(クーシャンクー)の分解と、先生の本の糸洲によって改変される前の公相君の分解が同じなのである。
改変された後の分解は、一般に見られる分解であった。
船越伝のクーシャンクーは安里安恒経由なので、糸洲の改変を回避しているか・・・・・
私はこの分解の他にもっとえげつないものも習ったが・・・・
あれは安里伝なんだろう・・か
他にも分解の口伝もそっくり・・・・・
相手は一人、前手は攻撃・・・・
この本は、他にも興味深いことがいくつか書かれている・・・・
ただ、いくつか自己矛盾するような箇所もあるし、問題提起だけで終わっている箇所もあるので、ちょっと読み難い。
このテーマは続きを書こうと思う。
posted by 桧垣源之助 at 22:35| 東京

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